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山口地方裁判所 昭和46年(ワ)62号 判決

原告 岩本利彦

右訴訟代理人弁護士 井貫武亮

被告 徳山曹達株式会社

右代表者代表取締役 福田克己

右訴訟代理人弁護士 広沢道彦

主文

被告が原告に対し、昭和四六年三月二一日付でなした被告会社東京支店社長室特許課へ転勤を命ずる配転命令は無効であることを確認する。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文と同旨

二  被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

第二原告の主張

(請求の原因)

一、当事者と本件配転命令

1 被告は、ソーダ、セメント、石油化学製品等の製造および販売を目的とし、肩書地に本店を置き、本社工場、南陽工場、東工場の三工場、東京、大阪の二支店、高松、広島、福岡の営業所をもつ株式会社で、その従業員数は、約二四〇〇名である。

2 原告は、下松工業高等学校を卒業後の昭和二九年三月、被告会社に雇傭されて、以来、研究部分析係や検査課で主として化学分析の業務に従事してきた者である。

3 被告は、原告に対し、昭和四六年三月二一日付で東京支店社長室特許課へ転勤を命ずる旨の意思表示をなした。

原告は、被告に対し家庭の事情を理由に異議をとなえたが、被告が聞き入れなかったので、原告は、苦情処理委員会への提訴等の異議をとどめつつ、同年三月二四日、単身で被告会社東京支店へ赴任した。

二、本件配転命令は、人事権の濫用にあたり、無効である。

1(一) 本件配転命令実施経過

(イ) 昭和四六年一月一一日、原告は、突然検査課泊課長から同月二一日付で被告会社東京支店社長室特許課へ転勤する旨の内示を受けた。

その際、原告は、家庭の事情を理由に、人選の再考慮を要請した。

(ロ) 同年一月一二日、原告は、家族等と相談した上で、どうしても配転に応じられないので、人選の再考慮を願いたいと泊課長へ、また、申し出たが、決定済との理由で拒絶された。

(ハ) 同年一月一三日、原告は、江村人事課長と会い、家庭的および経済的事情から転任はむづかしいので、再考慮の申入れをしたが、同課長は、会社の命令であるからとの理由で拒絶した上、被告会社が原告の妻の就職の幹旋について配慮する、というだけであった。

次いで、同年一月一四日、原告は、泊課長に更に再考慮の申入れをしたが拒絶された。

(ニ) 同月一六日、検査課の同僚四〇名中三七名の者は、被告に対し、本件配転が人道上許されないからと、再考慮を願う要望書を提出した。

(ホ) 同月一九日、徳山曹達労働組合三役は、被告会社人事課へ本件配転についての人選の再考慮を申し入れ、その結果、被告会社は、再考慮の余地は認められないが、配転を二ヶ月延期するとの回答をした。

(ヘ) 同年三月二日、泊課長が原告に対して、「会社をやめるとの話であるが、そこまで深刻に考えているのであれば、もう一度人事課へ行って頼んでみよう。」といい、「人事課は人をさがしてみようといったので、明日の昼まで待つように」とも云った。けれども、同月六日、江村人事課長に呼ばれて人事課に行ったところ、同課長は、再考慮の様子はなく、原告に要望書の提出を求めた。

(ト) 同月一〇日、原告は、泊課長を通じて、人事課へ次のような要望書を提出した。

(A)転勤期間を二ヶ年とすることを文書で約束し、右期間経過後は徳山勤務とし、以後原告の意思に反して転勤させないこと、(B)被告会社より住宅資金としての借入金の返済(月額六〇〇〇円)を二ヶ年間中止し、労働金庫から住宅資金としての借入金の返済(月額八〇〇〇円)を一時被告会社が立替払すること。

これに対し、江村人事課長は、(A)については問題にならないが、(B)については配慮すると回答し、更に、同課長は、原告に対し、本件配転に応じないで会社をやめるのなら三月末日限りでやめてもらうといった。

(チ) 同月一五日、人事諮問委員会が開かれ、同委員会は、本件配転が原告の家庭的、経済的事情を著しく困難にさせると判断し、再度の人選をすべき旨答申した。

(リ) 同月一八日、原告の提訴により、職場苦情処理委員会が開かれたが、原告には出席の機会が与えられなかった。

次いで、原告は、中央苦情処理委員会に提訴した。

同月三〇日、中央苦情処理委員会が開催されたが、原告は、出席して事情を説明する機会が与えられなかった。なお、右委員会は、その決定において、原告と被告との間に話し合いが欠けていることを指摘している。

(二) 通常、労働条件や生活条件が大きくかわり、又異例でもあるこの種配転に関しては、事前に担当職制から意向聴取があるが、本件では、事前に原告の希望や家庭事情を聞くことはなかった。すなわち、

(イ) 原告は、下松工業高校を卒業し、被告会社に入って以来一七年間、徳山の本社工場で働いてきたのであって、将来とも山口県下の各工場で化学分析等検査研究業務に従事しうると考えていたのであるが、東京支店特許課へ配転になるということは、距離的にみても著しい生活の変化を伴う配転であり、担当職種の面からみても全く異種の書類整理と対外折衝の事務労働に変るもので、本件配転は、甚だしい変化を伴う配転である。

かような場合、継続的労使間の信頼関係を保つために、労働者の便宜を考えて事前に各人の希望を聞くのが労務管理の常識である。

(ロ) 就業規則八条には、「会社の都合で人事の異動を行なうことがある。この場合正当な理由なしにこれを拒むことはできない。」と規定しているが、いわゆる正当理由の中には、人道に反する場合として、病人とか年寄りで手のかかる人がいる家庭事情も含まれる。

また、会社と労働組合との間の労働協約四四条は、「業務の都合により転任を命じることがある。」とのみ規定してあるに過ぎないが、わざわざ協約で右就業規則におけるような配転拒否の制限規定をおかなかった趣旨は、配転命令を受けた労働者が、正当にそれを拒否しうる範囲を広く認めたものにほかならない。

(ハ) 原告は、昭和四四年の夏頃、検査課の特殊係にかわったが、わずか一年で原子吸光法の研究の仕事をあてがわれ、またも八ヶ月足らずでなされた本件配転は、いわば、たらい回し人事であり、なんら合理性がない。

(ニ) 本件配転は、先例のない配転である。すなわち、被告会社の検査課発足以来、課員が支店や営業所へ配転になった例はない。原告の同期生十一人が被告会社に在籍しているが、そのうち本社技術者から支店や営業所へ配転になった例はない。また、原告のように、一七年間も技術者として働き、社長室特許課員として転任した例はない。

被告会社の人事異動の一般的傾向としても、三二才以下の若い層と三三才以上の経験の深い層とは別の取扱をしておるにも拘らず、当時三五才で技術者として責任を果しうる原告を初歩から勉強しなおさなければならない全く別種の仕事につかせることは異常である。

2 本件配転命令は、次のような原告の家庭の実情を全く考慮せずになされたものである。

(一) 原告の母親には東京へ行けぬ事情がある。

(イ) 母親は、当時五七才であったが、昭和九年三月に一九才で結婚以来現在地で生活を続け、父親や祖父と力を合わせて五反歩の山間の田を耕作してきたが、父親が昭和二〇年に戦死するや、同女の肩には曽祖母(七八才)祖父(七三才)、原告(一〇才)の生活が重荷となり、わずかな遺族年金、農業収入および賃労働による収入だけで、一家の生活は苦しく、かかる無理が重なって、母は健康を害し、神経痛に罹り、また、しばしば頭痛を訴えることがあり、ぜん息気味でもある。

(ロ) 母は、新聞や書物を読むことがなく、また、乗物酔いがひどく、電話の取扱にも馴れていないから、五七才にもなって、いま更環境が違い、しかも、空気の悪い東京周辺での生活は不適当である。

母自身も、東京に行けば病気になるから、絶対に東京には行かないというし、右のような事情が分っている原告としては、いやがる母を無理やり東京へ連れていくわけにはいかないのである。

(二) 母一人を残すことができないので、原告は、妻と別居せざるをえない。

(イ) 原告は、三才で実父を失い、家が貧しく、実母一人では育てられないので、満四才のときに現在の母のところへ養子にきたのであるが、前記のように、養父が昭和二〇年に戦死したので、その後は養母一人に育てられて今日に至っている。

その間、母にはさんざん苦労をかけており、まして養子であるから肉親以上に気を配る必要があるのに、母一人を辺ぴな所にある家に残しておくことはできない。

(ロ) 母には、養家の家、水田四反、畑七畝、山林一反七畝や墓の管理をする体力がないし、また人を使って管理していく能力もない。また、家具や家の修理、必要な日常品の購入、年金保険などの社会生活上必要な諸手続を一人で処理する能力はない。

(ハ) 原告は、昭和四六年一月一一日、配転命令の内示を受けた後、親族に集まってもらって協力を願ったり、近所の人にも頼んでみるなどの方法を講じたが、何年続くかわからぬ配転を前提としたのでは、何等解決をみなかった。

(ニ) 原告が以上のような事情のもとで、本件配転に応ずるのなら原告の妻が残るより他に方法はなく、原告は、何年続くか分らぬ配転のため、母とは勿論、妻子とも別れて暮さざるをえない。さもなくば、原告は、会社をやめるほかなかった。

(三) 原告とその家族は、本件配転命令によって、別居のやむなきに至り、深刻な精神的、経済的な打撃を受けた。

すなわち、原告は、昭和四三年に一七〇万円を借り入れて住宅を新築したばかりで、その借入金の返済に追われ、また、本件配転当時、原告の家族は、母のほか、妻と小学校二年生と幼稚園に通う子供がおり、妻が看護婦として働き、夫婦共働きでなんとかやりくりしていたところ、本件配転命令により、原告がその家族と別居するため、食費や住居費が二重に必要であり、月に約四万五千円の費用が余計にかかり、家計は甚しく困窮し、家族の不慮の病気にも備える余裕すらない経済状態である。

妻は働きに出ており、原告もいないことから、子供の面倒が十分にみてやれないし、母と妻との仲を調整することもできない。

原告は遠く離れた家族のことが常に心配であるが、距離的、経済的事情からいって、一ヶ月に一回家族と会えるか否かわからぬ程である。

3 本件配転は代替性が可能である。

(一) 被告にとり、原告だけが特許課へ配転の有資格者ではない。

(イ) 特許課の増員要請については、①高校の化学科の出身者であり、化学に関する知識と経験の豊かな者であること、②文献の整理や読解力が必要であること、③会社の製品に広い知識を有すること、の三つの条件がつけられていた。けれども、被告会社には、高校化学科卒業の技術者が数百名ないし千余名おり、それぞれ、化学に関する知識や整理能力や文献の読解力をもっており、化学に関する経験とか製品に対する広い知識とかはほぼ入社の順に蓄積が多くなっている。

原告は、入社一七年の技術者として年令相応の仕事をしているのに過ぎず、特別に取りたてて、優秀な能力を有し、知識や経験が特別に豊かであるわけではない。

従って、この人選基準を適用するにしても、原告のみを選任する理由にはならない。

(ロ) 原告は、現在、特許法の基礎的な勉強と情報管理、特許資料の整理を担当しているが、それによると、高校化学科卒業者であれば、誰でも原告に代替しうる性質の業務である。

(二) 被告会社の配転状況からみて、配転可能な高卒の技術者は多数おり、何も本件配転の選任者を検査課から出すと限定する理由はない。

被告会社の技術室、研究部、セメント部、ソーダ部、薬品部、ポリプロ部の各部とも、原告の配転後、何名かの者が転出しており、各部ともローテーションや業務上の必要に応じ、新入社員を補充したり、各部所間での転入転出を行なっていることからみると、被告が検査課以外からは人を出せないというものではない。

なお、原告が東京支店社長室特許課に配転になることは、昭和四五年夏頃から決っていたのである。

(三) 検査課での人選を原告を含めた三名にしぼった理由がはっきりしていないし、人選の理由を経歴という点にもとめるのであれば、先に入った足立が最適任者である。

足立が有機の責任者としてぜひ必要であったから出せないというのなら、昭和四六年四月に同人にその職を変えさせた理由がない。

三、本件配転は、次のとおり、政治的信条の故に差別された配転であり、労働基準法三条に違反して無効である。

1 被告は、政治的信条による差別を労務政策の柱にしており、配置転換もまた一つの方法である。

(イ) 被告は、ここ二、三年、労務管理上、共産党やそれを支持する者を、その政治的信条故に企業から排除しようとする意思を表明し、「とくそう」、「じんじふくし」というパンフレット中の社長発言、人事部長発言にそれに沿うものがある。

(ロ) 被告は、生産性教育なるものを行い、そこで、共産党に対する偏見をたたみこみ、また、反共講座へ勤務として従業員を出席させるなど、会社は、労働者の思想教育を実行しつつある。

被告のいう労使協調の思想は、企業の利益に労働者の権利や生活まで従属させる考え方である。

(ハ) 被告は、いわゆるアカ攻撃を労務管理の重要な一方法として労働組合の熱心な活動家をその信条なるが故に差別的取扱をし、昭和四四年六月以来組合活動家の不当配転が続き、そして、本件配転は、この一連の労務政策の一環となっている。

2 原告も、また、政治的信条を理由に差別的取扱を受けていた者であり、本件配転は、まさに政治的信条故に差別的取扱をしたものである。

(イ) 原告は、徳山曹達労働組合の執行委員を二期勤めるなど労働組合活動を活発に行う者であり、かつて検査課解体問題では職場で中心的活動を行った。

(ロ) 原告は、昭和四二年九月から同四四年八月にかけて労働組合の執行委員であったが、労使協議会の席上での原告の発言内容が「アカ」が使う言葉であるといって、会社役員はおこり、また、検査課長から文句を云われた。

(ハ) 原告は、昭和四四年には同期生との間で昇給の差別をされたが、この理由につき、日笠係長は、人事課が原告の組合での発言や行動を問題にしたからだと話した。

なお、原告は、同年九月に昇給を受けたが、これは、原告の昇給があまりに遅れたために、ひき上げざるをえなかったからである。

(ニ) 原告は、昭和四四年七月の労働組合役員選挙で、当時「アカ」ではないかといわれていた坂康夫を推せんし、選挙責任者となったことで、選挙後の八月一二日、浅田管理室次長、日笠検査係長に呼ばれ、「君、立場はどうなのか、共産党と一線を画するか」等とせまられた。

(ホ) また、昭和四四年頃、原告は、日笠係長から、「君は共産党でないだろうな、君をアカではないかという者が多くて困る、僕は、そんなことはない、といっているがだいじょうぶだろうな。」と、しばしば詰問された。

このように、原告は、被告から共産党員またはその同調者だと見られ、特別に注目されていた。

(ヘ) 原告は、昭和四四年夏頃、検査課の特殊係へかわったが、アカではないかという理由で、なんの必要もなく、昭和四五年七月にわずか一年で特殊係責任者の職をとかれ、調査員を任ぜられ、原子吸光法の研究をあてがわれていたが、特に忙しい作業があったわけではない。そして、また、八ヶ月足らずで、東京へ配転になったことからみると、原告の調査員への配転は、何等理由のないものであって、本件配転の前ぶれであった。

(ト) 以上の如く、原告は、被告によって、組合活動の関係を含め、思想信条を理由とする差別的取扱として、本件配転がなされるに至ったものである。

四、よって、原告は、被告に対し、本件配転命令の無効であることの確認を求めるため、本訴請求に及んだのである。

第三被告の主張

(請求の原因に対する認否ならびに被告の主張)

一、原告の主張事実のうち、被告が原告主張のような会社であること、原告がその主張のような被告会社の従業員であること、被告が、原告に対し、その主張のような本件転勤命令を発したこと、本件配転に関し、昭和四六年一月一一日、被告会社の泊検査課長が原告に内示したこと、これに対して、原告が家庭事情を理由に転任を希望しないとして人選の再考慮を申し出たこと、その翌日にも原告が泊課長に前日と同様の理由により転任に応じられないことを申し出たこと、同月一三日、原告が江村人事課長に対して家庭的経済的事情を理由に転任に応ずることがむつかしいとして再考慮を申し出たこと、同月一六日、検査課の同僚から被告に対して要望書が提出されたこと、同月一九日、徳山曹達労働組合から被告に対し本件配転の人選について再考慮の申入れがあったこと、被告会社が本件配転の発令の時期を当初の予定より二ヵ月延期して三月二一日としたこと、同年三月二日、泊検査課長が原告に会社をやめるといい出した理由を尋ねたこと、その頃、江村人事課長が原告に要望書の提出を示唆したこと、同月一〇日、原告が人事課に原告主張のような内容の要望書を提出したところ、被告会社は、原告主張のような回答を示したこと、同月一二日と一五日の二回、人事諮問委員会が開催され、同委員会が意見書を提出したこと、同月一八日、原告の提訴により、職場苦情処理委員会および中央苦情処理委員会が開催されたこと、いずれも原告には出席の機会が与えられなかったこと、原告は、満四才で岩本家の養子となり、養父の死亡後、養母フサノの手一つに育てられて今日に至ったこと、原告は、下松工業高校を卒業後、被告会社に就職して以来、本件配転まで一七年間、徳山の本社工場で働いて来たこと、原告が昭和四二年九月から昭和四四年八月まで徳山曹達労働組合の執行委員であったこと、原告が、昭和四四年七月、右組合役員選挙の際、坂康夫を推せんし、選挙責任者となったこと、その選挙後、原告が浅田管理室次長や日笠検査係長に面接したこと、原告が、検査課の特殊係を解かれて調査員を命ぜられ、本件配転まで原子吸光法の研究をしていたことは認めるが、その余の点は否認する。

二、原告は、本件配転命令は人事権の濫用であると主張するけれども、理由がない。すなわち、

1(イ) 原告に対する本件転勤命令は、被告会社の業務上の必要性に基づきその適格性を厳正に判定した上でなされたものである。すなわち、被告会社東京支店社長室特許課では、改正特許法が昭和四六年一月一日から施行により、業務量の飛躍的増大が予想されるため、昭和四五年五月八日付の文書で本社人事部に増員要請をしてきたが、人選が事実上困難なため遅延していた。その後、重ねて特許課から改正特許法実施を目前に控えた同年一二月一八日付の文書をもって増員要請があり、特許資料の整理、特許調査等のため、至急高卒者一名の増員を求めてきたので、被告会社は、右要請に従い、高校化学科卒業で要請の基準にかなう者の人選を製造部門を含めた全職場を対象として進め、昭和二五年以降入社した者について各職制と個々に折衝を始めたが、詮衡が困難であるため、同年一二月下旬ごろ、江村人事課長はこれを泊検査課長に諮った。

泊課長は、所属課員の中から人選に着手し、先ず、原告を含む三名を選出し、更に、要請の条件にあてはまる者を検討した結果、原告がとくに長く比較的高度な分析法の調査的義務にたずさわっていること、化学的知識があり、理論的とりまとめの能力が優れていることから、原告を推せんしたところ、人事課で諸般の事実および家庭の事情を調査した結果、同人が要請の条件に最適であるとの結論に達した。

そこで、昭和四六年一月五日頃、特許課に対し原告を推せんしたところ、特許課から受入れの同意がきたので、被告会社は原告を転任させることを決定した。

(ロ) 情報管理の仕事は、文献をある程度読みこなし、資料の管理の能力を備えていることが必要であり、加えて非常に広範囲にわたる情報を取扱うことになるので、未来製品を含めて一般的な当初製品に関する化学的知識が豊かであることを要件とするので、この点に沿って人選を進めたら、原告が最適任者であった。すなわち、特許業務というのは、その業務内容がすべて企業秘密であるが、特許法の改正で公告公報に代わり公開公報になると、特許課でチェックを必要とする特許関係資料の量が急増するため、これをどのようにチェックし、分類整理し、検索可能な状態におくかということが急務となり、コンピューターで全部公開公報で被告会社に関係のあるものをきめ細かく処理しようとするものである。

現在、原告は、特許課で特許部門の情報担当者としての情報管理教育、工業所有権に関する教育を一応終了し、また、コンピューターに関する知識も身につけ、更に、実際的経験もつみ、これから公開公報対策を進めていけるのは、課長を除けば、原告において他にない。

以上のように、本件配転は、特許課の増員という緊急の必要にもとづき、かつ、人選も合理的に、なされたものである。

原告が会社の配慮に応ずれば、別居からくる精神上の不安は解消され、かつ、経済上の不利益もかなり軽減することは必定であるから、この両者を比較衡量した場合、原告主張のごとく、人事権の濫用にはあたらない。

2(一)(イ) 泊課長が原告に本件転勤命令を内示したことは、同課長の好意によるものであり、同課長は、今回の配転は原告の能力を高く評価し、適任者として推せんしたのであるから、将来のためにプラスになる。経済的マイナスは、人事課と相談して少しでも軽減するよう頼んでみよう、といって原告を説得した。

(ロ) 本件配転に関し、原告は、特許課の仕事については不足はなく、むしろやりがいのある仕事だ、といい、転任先の仕事には関心を示した。

(ハ) 被告は、労働組合三役から再考慮の要望があったので、再度慎重な審議を行なった。しかし、審議の結果、他の適任者が見いだせなかったため、一月二一日の発令を原告の家庭の事情等を考慮して二ヶ月延期し、三月二一日に発令することに決定し、その間原告に身辺の整理をもとめた。

(ニ) 会社は、原告に対し、最大限の便宜を約し、経済的負担の軽減をはかった。

(ホ) 人事諮問委員会は、情実人事および不当人事の防止を目的とし、組合側委員をして参考意見をのべさせるのであるが、組合側人事諮問委員の全員が本件配転は不当、情実人事でない、と判断している。

(ヘ) しかし、被告は、原告の主張のように人事諮問委員会の意見書を全く無視したものではなく、再度にわたりあらゆる面から慎重に検討した結果、家庭の事情に対してできる限りの配慮をすれば転勤できないほどの事情ではないと判断したのであるし、他に適任者も見い出せなかったのである。

(ト) 原告が各苦情処理委員会に出席の機会が与えられなかったのは、被告が原告の出席を拒否したからではなく、組合側の苦情処理委員が、事情はよくわかっているので、本人をよぶ必要はない、と判断したためである。

職場苦情処理委員会は、三月一八日、審議の結果、業務上の必要性は理解できる。原告が母を連れて行き、借入金につき会社が便宜を与えるなら経済的には大きなマイナスにはならない。原告が母をつれて行くか否か、財産の管理をどうするかについては判断が困難である、と決定した。

中央苦情処理委員会は、三月三〇日、四月二日の二回にわたり審議の結果、企業活動の上で配転を行うことは当然必要であり、過去の配転に照らし、今回の配転は、特に異例ではなく、やむをえないものと判断し、その旨の決定をした。

以上、労働協約に定める救済手続は、全部終了した。

(二)(イ) 被告が原告に対し本件配転命令をなすにあたり、検査課長は、原告の直接の上司であって、原告の家庭の事情をよく知っている日笠検査係長から原告の家庭の事情を聞いており、人事課長は、それを念頭におき、人事担当者として、日頃知り得た範囲、あるいは、人事課備えつけの労働者名簿などで原告の家庭の事情を審査し、過去の配転実績、または、一般社会通念に照らしてみて、決定したものである。

なお、内示は、発令前一〇日前後に行なわれることが多いし、本件配転を二ヶ月延期したのであるから、突然の配転命令には当たらない。

(ロ) 被告会社の就業規則第八条および第五五条には、「会社の都合」、「業務の都合」により人事異動を行う旨の規定があり、労働協約第四四条には就業規則第五五条と同旨の規定が定められているが、右労働協約、就業規則は、入社の際、各従業員に配布され、その周知が図られている。原告も、被告会社に入社採用に当って会社の諸規則、指示を遵守する旨の誓約書を提出し、就業の場所につき、会社の就業規則に従うことを承認している。

(ハ) 被告会社の従業員は、昭和四八年五月二〇日現在、約二、四三〇名であるが、このうち約四三〇名が全国各地の事業所に勤務または関係会社に出向している。被告会社の従業員は、ほとんどが本社採用であり、右約四三〇名の出先事業所勤務あるいは出向者の大部分は、業務上の必要性に基づいて本社からの配転者である。

年間の配置転換の件数については、昭和四一年を二四五件(うち住居の移動を伴うもの三〇件)として漸次増加の傾向をたどり、四七年には三二四件(うち住居の移転を伴うもの六二件)の配転が実施されている。

転勤者の中で事務系と技術系の割合をみた場合、セールス、エンジニア等の増加で技術系の転勤者が増加の傾向にあり、過去七年間の出先男子の増員七八名のうち約半数が原告と同じく技術系であり、決して原告のみが特異な配転ではない。

特に、東京と大阪の支店には、多くの技術系統の者が配置されているが、これは、営業部門にセールスエンジニアを必要とすること、就中東京支店においては、本来、本社業務に属する部分の一部が移管されているからである。たとえば、東京支店社長室特許課では男子従業員六名は全員技術系である。

3(一) 原告は、本件申請後、始めて養母フサノ(当時五七才)が神経痛や頭痛を病み、一人残して東京に行くことも、東京につれて行くこともできない、と主張するに至ったのであるが、日笠検査係長は、本件配転当時、母親は非常に元気であると聞いていたし、また、原告は、検査課長および人事課長との話し合いの中でも、本件配転当時母の健康のことには触れていないし、職場苦情処理委員会の申立理由の中にも、一切そのような主張はみられない。

(二) 被告は、原告に対し、本件配転に際しては、できるかぎりの配慮をすることを約し、労働組合からの要望もあったので二ヶ月の配転延期を行なうとともに、母親も含め、家族全員が住める社宅(アパート)の確保、妻の就職の世話、借入金の返済、下松の自宅、田畑、山林の管理等について配慮し、さらに要望書の提出をもとめるなど配転に応ずるよう説得に努めた。

これに対して、原告は、会社の説得に耳をかたむけないだけでなく、「会社を辞めざるをえない」とか、社内諸規定を無視した要望書を提出するなど、次第に態度を硬化し、単身赴任するに至ったのである。

(三) 原告一家の家計は、原告の収入が支柱となっていること、ましてや転勤であるから何年か後には本社に戻れるであろうこと等を冷静に考慮すれば、不本意であっても、この場合、母は子供の転勤により東京に行くことに同意すべきであった。もしどうしても母が止まるならば、これによって生ずる二重生活からくる経費増は、当然のことながら、自ら覚悟すべき筋合のものである。

三、原告は、本件配転命令について、政治的信条による差別であり、労働基準法三条に違反して無効である、と主張するけれども理由がない。すなわち、

(イ) 「とくそう」、「じんじふくし」と題するパンフレット中の社長発言、人事部長発言は、経営理念の表明であり、上下の信頼のための努力の必要性、労使関係の信頼性を否定する行動を不当とするものであって、思想、信条による差別を表現したものではない。

(ロ) 被告は特殊な教育を指向するものではなく、企業の維持継続、発展こそ、従業員の労働条件、福祉向上につながるのである。

(ハ) 被告会社は、昭和四四年当時、職能給という賃金制度を採用していたが、原告は、同年九月、能力の上昇があった者に対して号給審査がなされた際、昇給を受けている。

(ニ) 原告が組合役員選挙の後、浅田次長、日笠係長と会ったが、浅田、日笠は、原告と同じ下松工高の出身で、同じ職場に籍をおいたこともある関係で、あくまでも個人としての立場で会ったものであり、日頃、原告が職場内でしっくりいかないので、日笠は、本人の将来を思う先輩として、浅田と相談の上、酒の席で、原告の反会社的行動、とくに職場内で反発を受けている状況等を指摘し、その生活態度を改めるよう忠告したものにほかならない。

(ホ) 日笠係長が「君がアカだということを聞くが、ぼくは、そんなことはない。」といった発言は、職制としてではなく、同窓の先輩であり、組合員でもある日笠個人の信念、思想から忠告したものである。

(ヘ) 被告が原告を調査員にしたのは、検査課内の配置計画による課内の仕事、分担の変更である。もとより、調査員は、閑職ではなく、重要性のある仕事である。

第四証拠≪省略≫

理由

被告が原告主張のような会社であること、原告がその主張のような被告会社の従業員であること、被告が、原告に対し、その主張のような本件転勤命令を発したことは、当事者間に争いがない。

ところで、原告は、本件転勤命令が権利の濫用であって無効であると主張するので、この点について検討する。

原告と被告会社との間の本件労働契約において、将来の勤務場所について特段の合意がなされたことについては、これを認め得る資料がなく、≪証拠省略≫によれば、被告会社と原告が加入している徳山曹達労働組合との間に締結されている労働協約四四条一項には「会社は業務の都合により、組合員に……転任を命ずることがある。」とあり、また、被告会社の就業規則八条には「会社の都合で人事の異動を行なうことがある。この場合正当な理由なしでこれを拒むことはできない。」と定められているから、右労働協約と就業規則の趣旨に照らし、本件労働契約においては、原告は、被告に対し、業務上の必要により、勤務場所の変更を伴う配置転換を行う権限を委ねたものと解すべきである。

そして、≪証拠省略≫によれば、原告に対する本件転勤命令が被告主張のような経緯と理由によるものであり、昭和四六年一月から改正特許法の実施にあたり、被告会社の東京支店社長室特許課の増員要請に応ずるための被告会社の業務上の必要に基づいて発したものであることを認めることができ、右の認定を左右するに足りる証拠は存しない。

しかしながら、一般に、労働契約において、給付の目的たる労務は、労働者の人格と切り離すことのできないものであり、継続的な債権債務の関係であることに鑑み、また、勤務場所は、労働者の生活の本拠と密接不可分の関係にあり、重要な労働条件でもあるから、使用者は、たとえ、右のような権限に基づいて、業務上の必要により、労働者に転勤を命ずる場合であっても、常に無制約に許されるものと解すべきではない。殊に、労働者が長年同一場所に勤務して相当の成績をあげているとき、その勤務場所を遠隔地に変更する場合には、信義誠実の原則に照らし、使用者としては、客観的に余人をもって代え難い場合でない限り、当該労働者の同意を得る必要があると解するのを相当とする。

本件についてみるのに、本件配転に関し、昭和四六年一月一一日、被告会社の泊検査課長が原告に内示したこと、これに対して、原告が家庭事情を理由に転任を希望しないとして人選の再考慮を申し出たこと、その翌日にも原告が泊課長に前日と同様の理由により転任に応じられないことを申し出たこと、同月一三日、原告が江村人事課長に対して家庭的経済的事情を理由に転任に応ずることがむづかしいとして再考慮を申し出たこと、同月一六日、検査課の同僚から被告に対して要望書が提出されたこと、同月一九日、徳山曹達労働組合から被告に対し本件配転の人選について再考慮の申入れがあったこと、被告会社が本件配転の発令の時期を当初の予定より二ヵ月延期して三月二一日としたこと、同年三月二日、泊検査課長が原告に会社をやめるといい出した理由を尋ねたこと、その頃、江村人事課長が原告に要望書の提出を示唆したこと、同月一〇日、原告が人事課に原告主張のような内容の要望書を提出したところ、被告会社は、原告主張のような回答を示したこと、同月一二日と一五日の二回、人事諮問委員会が開催され、同委員会が意見書を提出したこと、同月一八日、原告の提訴により、職場苦情処理委員会および中央苦情処理委員会が開催されたこと、いずれも原告には出席の機会が与えられなかったこと、原告は、満四才で岩本家の養子となり、養父の死亡後、養母フサノの手一つに育てられて今日に至ったこと、原告は、下松工業高校を卒業後、被告会社に就職して以来、本件配転まで一七年間、徳山の本社工場で働いて来たことは、当事者間に争いがない。

右の事実に、≪証拠省略≫によれば、次のような事実が認められる。

1  本件配転命令の実施結果等について

(イ)  昭和四五年一二月一八日付の文書をもって、被告会社東京支店特許課から、本社人事部に、昭和四六年一月一日から改正特許法の施行に伴う特許資料の整理、特許調査等のため、至急高校卒業者一名の増員をもとめてきた。その増員要請には、原告主張のような三条件がつけてあった。

同年一二月下旬ごろ、江村人事課長は、人選を泊検査課長に諮った。右泊課長は、所属課員の中から要請条件にあてはまる者として原告を推せんした。人事課で調査した結果、原告が要請の条件に最適であるとの結論に達した。

(ロ)  昭和四六年一月一一日、泊検査課長が本件配転命令を原告に内示した。これに対し、原告は、家庭の事情を理由に転任はしたくないとして、人選の再考慮を申し出た。

(ハ)  その翌日にも、原告は、前日と同様の理由により、泊課長に転任には応じられないと申し出たが、泊課長は、他に適任者がいないし、すでに決定ずみであるから、と東京配転に応ずるよう説得するばかりで、原告の申し出を聞き入れなかった。

(ニ)  原告は、同月一三日、江村人事課長に会った際、家庭的、経済的事情を理由に転任はむづかしいとして再考慮を申し出たのであるが、同課長は、決定済との理由で聞き入れなかった。そして、同課長は、原告に対し、妻の就職、財産管理、母も住める社宅の確保等について会社が配慮することを話し、加えて要望事項があれば提出するようにいった。

原告は、同年一月一四日、泊課長に会ったが、本件配転については、やはり再考の余地を認めなかった。

(ホ)  同月一六日、検査課の同僚から被告に対し本件配転が人道上許されないから、再考慮を願う旨の要望書が提出された。

(ヘ)  同月一九日、徳山曹達労働組合三役より、被告会社に対して、人選の再考慮の申し入れがあったので、被告会社では検討した結果、原告の家庭の事情等を考慮して身辺の整理をするために、二ヶ月間発令を延期し、その旨を組合に回答するとともに、検査課長を通じて原告に通知した。

(ト)  同年三月二日、泊検査課長は原告がやめるつもりでいる旨を日笠係長から聞いたので、原告をよんで聞いてみたところ、原告が「経済的にやっていけないのでやめます。」と答えたので、同課長は、原告に対し、「やめたら、ますます、経済的にマイナスではないか、奥さんの東京での勤め先の世話もしよう、経済的にどうしてほしいのか、要望書を出せ、やめるなんて弱気をだすな。」といい、そのあと、同課長は人事課に行きその旨の報告をした。

(チ)  同月一〇日、原告は、人事課に原告主張のような内容の要望書を提出した。これに対し、江村人事課長は、被告会社が原告の経済的負担の軽減をはかるよう回答した。

しかし、同課長は、原告が転勤期間について、二年が限度であり、それを越えると生活が破壊されてしまう、といったのに対し、「かかる要求は、無謀であり、会社としては聞くことができない。」といい、ついで、原告が「やめざるをえない」といったところ、同課長は「やめるというならやむをえないが、三月末日までにはやめてもらわねばならない。」と答えた。

(リ)  同月一二日、一五日の二回、人事諮問委員会が開催された。同委員会は、本件配転につき、不当人事、情実人事の事実があるとは認められないが、本人の家庭的、経済的事情を著しく困難化させるものと判断し、再度、人選の配慮を要請する旨答申した。

(ヌ)  同月一八日、原告の提訴により、職場苦情処理委員会および中央苦情処理委員会が開催された。いずれも、原告は出席の機会が与えられなかったが、職場苦情処理委員会は、(1)業務上の必要性は理解できる、(2)母を連れて行き、借入金について会社が便宜を与えるならば、経済的には大きなマイナスにならない、(3)母を連れて行くかどうか、財産の管理をどうするか等については、当委員会で判断するのは困難である旨決定し、また、中央苦情処理委員会は、(1)業務上の必要性については、特許法の改正により、特許課の仕事は増しており、原告の経歴、職歴、能力からみて、特に問題はない、(2)生活費については借金の返済方法を工夫するなら生活が破砕されるとは考えられない、(3)原告は、田畑、山林を管理しながら本社に勤務することを望んでおり、業務上の必要性と本人の適格があっても、本社以外の地で、このような職務につくことは希望していないし、また、その意向は聞いていない。企業活動を行なって行くうえで配転を行うことは当然必要であり、過去の配転に照らし、今回の配転は特に異例ではなく、本委員会はやむをえないものと判断する。この種の配転について、今後、苦情が起らないよう早急に労使で話し合うことが望ましいと決定した。

(ル)  原告は、下松工業高校を卒業し、被告会社に就職し、以来一七年間、徳山の本社工場で働いていたのであるが、かねがね、原告および養母フサノは、原告が、フサノのそばにいて、自宅から通勤できることを就職先の絶対的条件と考え、下松工業高校での就職希望調査にも家から通勤できる所と記載し、担任の先生にもその旨を話し、右事情で被告会社を選択したのであって、原告およびその家族としては、転勤を希望していなかった。

(ヲ)  原告は、前記のとおり、昭和四六年一月一一日の昼食前に、泊検査課長が人事課から同年一月二一日付で原告に東京支店に行ってもらうことになったとの連絡を受け、昼食の後、同課長のもとによばれ、東京配転が決ったこと、およびその理由の説明を受けたのが、原告が本件配転を知った最初である。被告会社では、それまでに原告本人の意向を打診することも行なわず、原告本人についてその家庭の事情を調査したこともなかった。

当時、原告の上司であった泊検査課長は、原告の妻が看護婦をしていること、母は元気で百姓をしていること、子供が二人いて上の子供は小学校に上って間もないということを日笠係長その他から時に応じて聞いており、その範囲で家庭的事情を配慮し、原告を適任者として人事課長に推せんしたに止まり、人事課長は、泊課長から原告の家庭の事情および家族は全員健康であると聞き、労働者名簿を参照した程度で転勤に支障はない、と判断したに過ぎなかった。

(ワ)  原告が事実上配転先の東京支店特許課で担当している職務については、特許法改正に伴う公開公報対策、および、特許情報業務であるが、これを処理するにあたっては、会社の製品全般にわたる深い経験、知識があるに越したことはないけれども、最少限度化学系の高校を出た者の有する一般的知識があれば足り、被告会社の従業員中原告以外にも適任者がないことはない、と思われる。

(カ)  被告会社の配転状況からみて、本件配転当時、原告以外にも、高卒の技術者が多数おるにも拘らず、本件配転の適任者を検査課所属の原告に限定すべき根拠が乏しい。

2  原告の家庭事情等について

(一)  原告の母岩本フサノは、本件配転命令の当時五七才であったが、昭和九年に一九才で結婚し、夫が昭和二〇年に戦死して以来原告が就職するまで一家の生活の中心として五反歩の田畑を耕作し、その間各種賃労働に従事してきた。かかる無理がたたり、必ずしも健康体とはいえず東京には絶対に行かないといっている。

(二)(イ)  原告は、満四才のときに、岩本家へ養子にきた。養父死亡後、養母フサノに育てられて今日に至った。原告は養子であることから、肉親以上に気を配っている。原告の家は、下松の奥の山裾の一軒家で、そのようなところへ母フサノを一人残しておくことはできない。

(ロ)  母フサノ一人では田畑を作ることが出来ないし、小さな字が読めないので、一人では社会生活上不自由を免れない。

(ハ)  原告の妻秀代は、看護婦として共働きをしているが、原告は、昭和四三年頃、家の新築で一七〇万円の借金があり、毎月、会社から借りた分六千円、組合から借りた分九千円、農協から借りた分八千円を支払っていたので、泊検査課長に母の健康状態とか家庭および経済状態を詳しく話したが、泊課長は、それらは考慮済であるし、人事課へ行って話してみたが決定済ということで考慮してもらえなかったという。原告は、親族、知人に集まってもらって協力をもとめたが、田畑の管理も一、二年の転勤期間ならいいけれども、期間が何年になるかわからなくては責任の持ちようがないということで断わられた。原告は、母一人残すとした場合、夜だけでも泊りに来てくれることを頼んだが、誰も、一、二ヶ月ならともかく何年続くかわからないのでは引受けられない、ということで何等妙案が得られなかった。そうかといって、原告は、会社を辞める訳にはいかないので、家族とわかれて単身赴任した。

(三)  本件配転命令当時、原告には小学校二年と幼稚園に通う子供がいた。

妻は、働いているので、子供の面倒を十分に見てやれない。

原告は、妻と母の間のことが心配であっても、経済的、距離的理由から月に一回位しか帰れない。

会社は、原告のために家の借主を幹旋し、その家賃で田畑の管理をなしうるとし、妻の就職についても、会社が幹旋し、母も含めて家族の全員が住める程度の社宅(アパート)を用意し、借金の返済についても配慮するということで、原告とその家族が東京へ赴任するよう説得した。

以上認定したところに弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、昭和二九年三月入社以来、本件配転に至るまで、一貫して徳山市の被告会社本社に勤務し、研究部研究員、薬品課係員、検査課係員としての業務経験を積み、特に資料の調査、整理等にすぐれた能力を認められていること、そして、本件配転問題以外に、被告会社の業務の運営上、特に原告を他の職場に移さなければならない必要は認められないこと、しかも、本件配転による原告の担当業務が必ずしも同人でなければならないほど特種なものと思われないこと、本件配転による勤務場所が東京のような遠隔地であること、そして、本件配転によれば、原告としては、妻に養母の世話をさせるため、夫婦が別居を余儀なくされ、精神上ならびに経済上顕著な不利益を蒙ることが認められる。このような場合には、さきに説示したところにより、被告は、本件配転について原告の同意を得なければならない場合に該当するものと解する。

しかるに、本件配転に関し、被告が原告の同意を得たことを認め得る資料はない。原告が、事実上、本件転勤命令に応じて赴任し、その職務に従事していることは、原告の自認するところであり、それ以来、すでに数年を経過したことがうかがわれるけれども、本件配転に対しては、当初から異議を留め、その後も機会ある毎に本件配転の不当を訴え続けていることは、本件訴訟の経過に照らしてみても明らかであって、右の認定を左右するには足りない。

すでに認定したところによれば、なるほど、被告は、本件配転にあたって原告のため種々配慮するところがあったことは明らかであるが、しかも、本件配転について、事前に原告の意向を尋ねるようなことがなく、被告側においては、すでに決定済のこととして、専ら、一方的に説得に当ったのみで、未だに原告の同意を得るに至らないことが認められる以上、被告としては、本件の場合、信義則上の義務を十分に尽したものとはいえず、結局、本件転勤命令は、被告の人事権の濫用として無効であるといわなければならない。

そうしてみると、原被告間において本件転勤命令の効力について争いがある以上、原告は、その法的地位の不安定を除去するため、被告に対し、訴によって本件転勤命令の無効確認を求める法律上の利益があるといえる。

従って、原告の本訴請求は、もはや、この上の判断を加えるまでもなく、理由のあることが明らかであるから認容すべきものである。よって、訴訟費用につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 濱田治 裁判官 山本博文 裁判官新谷勝は、出張中につき、署名捺印をすることができない。裁判長裁判官 濱田治)

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